「なぁ、海馬」
「………」
 声を掛ければ返される無言の視線。
 青く澄んだその目が自分を射抜く度、喉の奥でク、と息が詰まった。
「…聞きたいことがあんだけどよ?」






++ 秋 声 ++






 放課後になって漸く現れた男を昇降口で待ち伏せた。
 レポート提出とか、恐らくはその類だろう。長らく学校に顔を出さなかった男が、久方ぶりに目前に立っている。
「フン。何を聞き出すつもりだ、凡骨」
 嘲笑めいた声音が耳を擽り、城之内は口元に薄っすらと笑みを引いた。
「まぁ…イロイロと」
 軽く肩を竦め、らしくもなく曖昧な物言いをする彼に海馬は些か首を傾げる。
「貴様の下らん話に付き合っている暇はない。用件があるなら手短に話せ」
「ん、多分短いぜ」
 ゆるりと細まった琥珀色の瞳は、しかし全く笑ってはいなかった。
 黄昏時の夕闇が下駄箱に濃く影を落とし、吹き込んだ秋風が頼りなく金糸を揺らしている。
「…テメェさぁ」
 城之内は微かに口角を引き上げ、自分より少し高い位置にある青の双眸を覗き込んだ。
「俺がモクバを誘拐したら、どうする?」
「………」
 あまりにも脈絡のないその言葉に、海馬の目が訝しげに細まる。
「大事な大事な弟をかっ攫いました、って言ったら、どうするよ?」
 次いで漏れたのは嘲笑。
「駄犬が何を言い出すかと思えば…。モクバには特に有能なSPをつけてある。誘拐など到底有り得ん話だ」
 話がそれだけなら帰るぞ、と、苛立ちのまま目前の細い体を押し退ける。だが。
「モクバはいい子だよなぁ」
 小さく、耳に触れた言葉。
「何…?」
「お前昨日屋敷に帰ってねーだろ。執事さんにこんな電話が入ってる筈だぜ。『友達の家に泊まってくる。兄サマには内緒だぜぃ』ってな」
「……貴様」
 苛立ちを誘う笑顔に、海馬は纏う空気を一変させる。確かに昨夜は仕事が長引き、社で一夜を明かしていた。良くあることだと屋敷にも連絡は入れていない。
 鋭く舌を打つ様を場違いなほど楽しげに眺めやり、城之内はまた口を開いた。
「買い物帰りにバッタリ会ってよ。最近親父家に帰って来ねーし、一人で飯食うの淋しい、っつったら『じゃぁオレが一緒に食べてやるぜぃ!』ってさ」
「………」
 さざめくような笑い声に不快さばかりが募っていく。
「…簡単だったぜ?」
 ちろりと視線を上げて囁かれ、怒りで視界が赤く染まった。
「貴様、余程死にたいらしいな」
 低く呟いて胸倉を掴み上げる。けれど城之内の瞳はゆるく笑んだままだ。
「何が目的だ。金か?」
 問えば「まさか」とまた笑った。如何にも楽しげな顔を見せる彼は、憤る海馬の目をじっと見つめて小さく一つ息を吐く。
 溜め息、というよりはどこか感嘆めいたそれに、何故だか妙な違和感を覚えた。
「ホントは色々考えてたんだけど、何かもうどうでも良くなってきてさ」
 言いながら、城之内は猫のように目を細める。
「望みなんて、一つだぜ?」
 ―――囁かれた言葉がどこか淋しげに聞こえたのは、きっと気の所為だ。
 ドクリと動揺したように跳ねた胸を押さえ、海馬は自身にそう言い聞かせた。モクバもこれに騙されたに違いない。
 海馬は城之内を解放することなく、おもむろにコートの襟元へと口を寄せる。
「俺だ。モクバの居所は掴めるか」
 この男の言葉を鵜呑みにするのも危険だと、管制室に回線を繋ぐ。
 だが。
「何だと…?…わかった。引き続き捜索を続行しろ」
 モクバの通信機は応答せず、故障して作動していないのではないかとの答えが返った。
 兄には内緒だと念を押されていた為、管制室側も焦っていたらしい。
「…これも貴様の仕業か」
「あぁ悪い。テメェのそれとお揃いのバッチ、うっかり踏んで壊しちまったんだわ」
 うっかりな、と口端を吊り上げて強調してくる言葉には、全く以って説得力がない。
「モクバは貴様の家にいるんだな?」
「さぁ?それ言っちまったらすぐSPが助けに行くんだろ?なら素直に言うわけねェじゃねーか」
 へらりと軽く言ってのける城之内は、けれどやはりどこか淋しそうで。
 言葉の合間に何度も口唇を噛んでいることも、時折戸惑うように瞳を揺らしていることにも、気付かれていないとでも思っているのだろうか。
 そしてそんな彼の仕草に、自分の胸はどうしてこうもざわつくのだろう。
「…っ」
 騙されるな、と海馬は強く己を叱咤した。
 子供に甘い城之内がモクバに手を上げるとは思えない。だが、連れ去ったという言葉は現時点で最も信憑性を帯びている。
 本当に彼がモクバを攫ったのだとしたら、そこには何らかの悪意があった筈なのだ。
「金が目的ではないと言ったな。だがそれ以外貴様が俺から何を奪える?秀でた能力もないくせに、地位をくれとでも言うつもりか」
 あからさまな嘲りを含んだ声音に、城之内はクッと喉を鳴らして口元を歪めた。
「ンなの要らねェよ」
 拗ねたように俯く様は酷く自嘲めいていて、先刻から続くあやふやな態度に海馬の苛立ちはピークに達していた。
「…いいか犬、聞いてやるだけ有難いと思え。貴様のちっぽけな人生なぞ、俺の力を持ってすれば容易く捩じ曲げられるのだからな」
 殊更声を低めて告げられた台詞にも、城之内は目を細めて薄く笑う。
 怒りに透度を増すサファイアブルーの瞳が、言いようもなく綺麗だ。
「…どうせ」
「何?」
「どうせ、無理だって」
 さざめくように笑う彼の様を、海馬は訝しげに眺めやった。
「テメェは俺の望みを叶えちゃくれねェよ。それは解りきってることだから、簡単に聞かないでくれ」
「…………」
 眉を顰める海馬に城之内はへらりと笑いかける。そして不意に腕の時計に目をやると、
「あぁもうこんな時間か。モクバ、そろそろ家に帰ってる筈だぜ」
 けろりとした顔で、悪びれなくそう言いきった。
 海馬のバッチがピリリと音を立てたのは正にその時だ。
『瀬人様、只今モクバ様が無事ご帰還なさいました』
「…そうか」
 小さな溜息とともに掴み上げた襟元を解放すれば、長く爪先立っていた城之内の足がたたらを踏む。
「俺もすぐに戻る。…何?…駄目だ、部屋で待つよう伝えておけ」
 険しい声音で話す男を城之内は虚ろに眺めていた。
 欲しかったのは、この男が弟にだけ向ける甘やかな視線。髪を撫でる指。
 自分には決して得られぬものだ。
「…おどかして悪かったな」
 海馬が携帯を閉じたのを見計らって、城之内はくるりと踵を返した。
「じゃぁ、俺はこれで」
「待て誘拐犯」
 足早に歩き出したところでぐいと乱暴に襟足を引かれる。
「痛っ…何すんだよ!モクバも帰ってきたんだし、もういいだろ」
「それだ。そもそも、何故モクバを誘拐しようなどと考えた」
 心底解らないといった風に秀麗な眉が潜められる。理由が解らないことには再犯を防ぎようがないからな、と大真面目に語る彼に、城之内は「解ってたまるか」と心内で舌を出した。
 届かないものばかりを欲しがって、涙が出そうだ。
「もうしねーよ。待っても無駄だって、解ったからな」
「?」
 やはり理解不能だと顔に書いてある海馬を振り切って、城之内は今度こそ校庭を駆け抜けた。


 一人きりの秋の夜。
 弟を探してあの男が訪れないだろうか、なんて。
 …我ながら馬鹿なことを考えたものだ。


 スンと鼻を啜り上げて家路を駆けた城之内はしかし、先回りしていた黒塗りの車にわけも解らぬまま連れ去られてしまう。




 「理由を言うまで家には帰さん」

 「…そんなこと言ってると、冬までずっと居ついちまうぜ?」




小さく笑った城之内の髪を、海馬の指が躊躇いがちにそっと撫でた。









+ END +








折角の海城オンリーだというのに新刊を落としてしまい(泣)、突発無料配布本として持って行きました。
2年前に携帯サイトの日記でミニミニ連載していたものを、少し手直しして纏めてみました。
くっついていないので甘さに欠ける二人……というより、今の自分の書く二人との違いに戸惑いまくりです…。何というポエム。


2004.09.22