駅から背中までの距離

 そう言えば今日はあいつの誕生日だった。

 五メートルほど先を行く背中を見つめながら、城之内はぼんやりとそう考えた。
 混雑のピークを過ぎた駅は忙しないムードを潜め、仕事の疲れを窺わせる人々がそれぞれの歩調で階段を上り下りしている。電車の到着を知らせるアナウンスにも、駆け出す者は殆どいない。

 駅であの男の姿を見かけたのは、これが二度目だ。
 公共の乗り物とは縁遠く思える男だが、徹底した合理主義でもある為、移動時間が少しでも短縮出来るなら乗り心地その他には目を瞑れるらしい。
 以前別の駅で出くわした時、彼は「渋滞に嵌まるくらいなら電車を利用した方が早いだろうそんなことも解らんのか犬め」などと常識人ぶった顔で宣い、自分を大層複雑な気分にさせてくれた。
 他人の迷惑省みず街中でヘリを飛ばすような非常識の塊が、一体何を言っているのかと。
 当然その後は下らない諍いに発展したわけだが―――思えばあれはバトルシティの少し前、彼が本格的にアメリカへ発つよりも前のことで、もう二年以上前の話だ。
 月日は流れ、今年の夏、彼は再び童実野町に帰ってきた。米国での経営が軌道に乗り、拠点を日本に戻すことにしたらしい。
 前を行く背中はあの頃の悪目立ちする白コートではなく、ありふれた……とは言え値段は桁違いだろうが、グレーのスーツを纏っている。その所為か、他のサラリーマンたちのそれに不思議なほど溶け込んで見えた。
 以前はあれほど苛烈な印象を受け、他と見間違えることなど絶対にないと言い切れたのに。
(よぉ、どうしたよ)
 元気ねェな、と心の中だけで問いかけ、僅かに口の端を持ち上げる。
 少しは落ち着きを覚えたにせよ、二年やそこらで人は変わらない。精彩を欠いた背中は単に年を食った所為ではなく、何らかの不調によるものだろう。
 それが体力的なものなのか精神的なものなのか、そこまでは知らない。実際に声をかけて尋ねる勇気もない。
(いい加減平気だと思ってたんだけどな…)
 重い足取りで階段を上りながら、城之内はハァ、と深い溜息を吐いた。
 記憶力の良いこの男にかぎって、よもや自分を忘れているなどということはあるまい。
 だが万が一、一瞬でも、彼の目に迷いの色が浮かぶようなことがあれば。
 「誰だ貴様は」と、訝しげな声を投げられでもしたら。
 自分は恐らく、地の底まで落ち込むだろう。そしてそんな弱さを、今の自分は許容出来ない。
 やっと慣れたのだ。時折テレビに映る彼の姿を、漸く狼狽えることなく見つめられるようになった。そのささやかな心の安息を、再び奪われるわけにはいかない。
 些か緊張した面持ちでホームに出た城之内は、敢えて海馬の列の後方につき、心持ち顔を下向けた。
 ここならば、彼が百八十度ぐるりと首を巡らせでもしない限り、見つかることはない。あとは乗車のタイミングを計って別の車両に駆け込めばいいのだ。
 安堵したように肩の力を抜きながら、しかし少しだけそれが残念に思えて、城之内はやるせなく拳を握り締めた。





 電車は三駅目を通過した。
 妹の住む町が次第に遠ざかり、少しずつ童実野町が……現実が近付いてくる。
 久しぶりに会った静香は、突然の訪問にもかかわらず快く迎えてくれ、町のあちらこちらを案内してくれた。
 散々歩き回ったお陰で、それなりに疲れも溜まっている。だが、普段ならうつらうつらと舟を漕いでいる筈のこの状況でも、今日は一向に眠気が差してこない。
 焦れた城之内は思い切って席を立ち、隣の車両の海馬をこっそりと窺い見た。
 ドアのガラス越しに見える彼はやはり疲れているのか、椅子に深く腰掛け、腕組みをして瞼を閉ざしている。

 高校時代、自分は恐らくあの男のことが好きだった。

 当時を朧げに思い返し、城之内はゆるく自嘲の笑みを浮かべた。
 恐らく、というのは、ほんの一年前までまるでその自覚がなかったからだ。
 去年の今日、海馬は十八歳の誕生日を迎えた。
 十八と言えば、法的に婚姻が認められる年でもある。とは言えその年の多くの男たちはまだ遊びたい盛りであり、結婚の二文字などどこか遠くに感じていることだろう。
 だが海馬は若くしてKC社長という地位にあり、彼の結婚相手並びに跡取りとなる子供には、早い時期から多大な関心が寄せられていた。
 KCのお膝元である童実野町のマスコミが、そんな旬の話題を見逃す筈もない。
 彼の誕生日に前後して、各メディアはこぞって社長夫人像を予想し始めた。結果、町中に「海馬社長はそろそろ結婚するらしい」という噂が実しやかに流れ出したのも、無理らしからぬことと言える。
 初めのうちは、城之内もまだ気付かなかった。
 テレビでその話題が出る度に胃の辺りがキリキリと痛み、動悸がし、目の奥が焼けつくように熱くなる、その理由に。
 「社長ってのは大変だな」と茶化した物言いで仲間たちと笑い合い、何故だか込み上げる焦燥めいた感情を、気の所為だと思い込もうとしていた。
 自分はあの男を嫌っていた筈だ。あれは自分のことを遊戯のオマケ程度にしか思わず、小馬鹿にした態度ばかりをとる嫌な男なのだと、何度も言い聞かせた。
 だが悲しいかな彼は、そればかりではない海馬の姿も知っていた。
 プライドが馬鹿高く、負けず嫌い。誰も彼もを冷たく撥ね退けるくせに、モクバに語りかける時の眼差しだけはどこまでも情に満ちている。
 自分に絶対の自信を持って道を切り拓いていくその強さには、憧憬に近いものを覚えさえした。
 挑みかけるようなあの視線をこちらに向けさせたい。自分の存在を知らしめたい。肩を並べられるまでに強くなりたいと切に望んだのは、単なる対抗心からなのか。
 未だ、単純に好きだと口にするのには抵抗がある。だが、あれを誰にも渡したくないと、自分のものに出来ないのならせめて孤高なままあって欲しいと願う身勝手な執着を一言で表すには、それが一番近い言葉だったことは確かだ。

 電車の乳白色の天井を見上げ、城之内は軽く目を瞑った。
 そう言えば今日はあいつの…、なんて、白々しいにも程がある。
 自分は、敢えて今日のこの日を選んで休暇を取った。
 去年同様ひっきりなしに流れてくるだろうあの話題を耳にするのが嫌で、久方ぶりの妹との対面を口実に、童実野町から逃げ出したのだ。





 窓の外に賑やかな明かりが見え始めるのとほぼ同時に、電車は童実野駅のホームへと滑り込んだ。
 海馬が降りたのを確認してから城之内も降車し、彼との距離を計ろうと軽く背伸びをする。田舎町に比べると、この駅は流石に人が多い。見失っても構わないのだが、改札で出くわすようなことになれば些か具合が悪い。
「うわっ、すんません!」
 しかしドアのすぐ傍でそんな真似をしていた彼は、駆け込み乗車のサラリーマンとぶつかりそうになり、慌てて頭を下げる破目になった。
 反射的に漏れた声は思いの外大きく、思わずバシッと音の立つ勢いで口元を押さえる。
(聞こえたか…?)
 何事かと振り返る人々の視線に冷や汗を流しつつ男の姿を探し当てると、彼は今まさにエスカレーターの下り口に差し掛かったところだった。
 相変わらず覇気のないその背中は、些細な喧騒になど気付きもせず、階下へと消えていく。
「ハ…、だよな。聞こえてても俺の声だなんて気付かねェよな、普通」
 自意識過剰すぎだろ、と乾いた笑みを漏らし、城之内は海馬の後を追うようにエスカレーターに乗り込んだ。
 これがもし、逆の立場だったならどうだろう。
 ポケットの切符を取り出しながら、詮もないことを考える。
 自分が彼の声を聞く側だったなら。……間違いなく、海馬瀬人のそれだと気付く。自分があの男の声を聞き逃すとは思えない。
 当たり前のように出た答えはあまりにも虚しいもので、余計惨めになった。
 胸が詰まる。こんなやり場のない思いを、自分はいつまで引き摺っていかなければならないのか。


 改札を出ると、駅前の広場の脇に黒塗りのリムジンが停まっていた。
 それは案の定海馬を迎えに来たもののようで、グレーのスーツを纏った背中は、腕の時計を気にしながら真っ直ぐそちらへ歩み寄っていく。
(まさか、これからまた仕事じゃねェだろうな)
 離れた位置でその様子を見守っていた城之内はふいと眉を曇らせた。
 広場の時計の針は午後十一時を指している。今日が何でもない普通の日だったなら、「仕事が恋人なんて寂しい奴だなオイ」と笑って見送るところだが、すぐ傍の電光掲示板にはご丁寧にも『本日は海馬コーポレーション社長、海馬瀬人氏のお誕生日』とテロップが流れている。
(ホント、なんつー町だよ)
 抜け出しといて正解だった、と苦く笑いながら、車の鼻先が会社とは逆方向を向いたことにほっと安堵の息を吐いた。
 恐らくこのまま屋敷にへ戻るのだろう。始終疲れ気味の背中を見せていたのだから、今夜はゆっくり休むべきだ。無論、兄思いの弟に存分に祝われた後で。
「…お疲れさん」
 遠ざかっていく赤いテールランプを見つめながら、城之内は吐息するように小さくそう呟いた。
 久々に会えた。今日はいい日だ。
 思い浮かべた言葉とは裏腹に気怠い足を引き摺るようにして、彼もまた帰路に着く。
 駅前の明かりが遠ざかると、急に夜の静けさが肩に圧し掛かってきた。人影の疎らな通りをゆっくり進むごとに、足は益々重くなる。
(おめでとうくらい言や良かったかな…)
 爪先に当たった小さなコンクリートの欠片を蹴り飛ばしながら、よせばいいのに再びあの男の顔を思い浮かべた。
 電車の中で盗み見た彼の横顔は、二年前と然程変わりなかったように思う。元々年相応とは言い難い面差しをしていたのだ。漸く見た目に実年齢が追いついてきた、というところか。
「くそっ、冷えるな…」
 他のことを考えられない自分に嫌気が差して、城之内はチッと鋭く舌打ちを漏らした。
 十月も終わりに近いこの時期になると、夜は冬並みの冷え込みとなる。首を縮込め、肩を窄めて上着のポケットに両手を突っ込んだ彼は、冷えた指先にコツリと当たった固い感触に、そう言えば、と目を瞬かせた。
 海馬にばかり気がいって忘れていたが、電車の中で一度携帯が震えていたことを思い出す。
 最近漸く持つようになった文明の利器は、ディスプレイの着信履歴に見慣れた妹の名を表示させていた。時間は、丁度向こうの駅で電車に乗り込んだ頃。
(何か忘れモンでもしたか?)
 訝しみながら、城之内は留守録を再生すべくセンターに接続した。
 アナウンス通りの操作の後、漸く妹の声が流れ出す。


『もしもし、お兄ちゃん? 静香です。
 実はついさっき、―――さんがお兄ちゃんを訪ねて来ました。
 お兄ちゃんと別れてすぐ―――から、もしかしたら駅で会えるかもと思って電話―――
 出れないってことは、もう電車の中なのかな。無事会える―――いんだけど。
 それと、今日は来てくれてありがとう。すごく嬉しかった。
 また連絡するね。それじゃ』


「…………」
 携帯を耳に当てたまま、城之内は呆然と歩みを止めた。
 母親に見つからぬよう、外に出て掛けたのだろう。所々に車の排気音が混じり、肝心な部分が聞き取れない。
 だがその内容だけで、自分を訪ねてきたという相手の姿を、容易に想像出来る気がした。
 静香の住む町は郊外の田舎町で、大会社の社長が直々に足を運ぶような企業もなければ、静養の為の観光地というわけでもない。
 スーツ姿だったということは仕事の一貫かその帰りに立ち寄ったものと思われるが、目的に関してはさっぱり思い当たらなかったのだ。……今、この瞬間まで。
 彼は、本当は何の為にあの町へ行ったのだろう。
(―――馬鹿か俺は)
 自惚れた考えを鼻で笑い、城之内はふるりと頭を振った。
 そんな筈がない。そんな、自分に都合のいいことはない。
 思いがけぬ偶然があまりにも重なってしまった為に、一番重要なことを忘れかけていた。

 考えてもみろ。
 あの目が真っ直ぐに自分を見たことなんて、ただの一度もないじゃないか。

 城之内はもう一度かぶりを振り、先刻よりしっかりした歩みを意識して足を踏み出した。
 親友とあの男の背中を、必死になって追いかけていたあの頃。
 彼は自分を歯牙にもかけなかった。今更何の目的で自分を訪ねて来ることがあるだろう。
「ったく、女々しいった、ら……、」
 くつりと喉奥で笑い、団地までの近道である公園を抜けようとした、その時。
 城之内はまるで雷に撃たれでもしたかのように、大きく肩を震わせて立ち止まった。
 驚きは、静香の留守録を聞いた時の比ではない。
 団地の前に佇む背中。それはつい先刻、童実野駅で見送った筈のもので。
「何、で」
 ほぼ無意識のうちに漏れた声は、情けないほど小さく掠れていた。振り払ったばかりの惨めさが、ひたひたと胸を侵食する。
「やっと帰ったか」
 よもや声が届いたのか、将又足音を聞き付けたか、いや、気配を感じ取ったのかもしれない。ともあれ海馬瀬人は、殊更ゆっくりとした動作でこちらを振り返った。
「……何か用かよ」
 衝撃から幾分立ち直った城之内は、軽く顎を引き、声を低める。
 睨み付けるように目を眇めて問い掛けると、数メートルの距離を保ったままの男がやれやれと言わんばかりに溜息を吐いた。
「野良の行動は読めんな。捕まえようという時に限ってねぐらを抜け出す」
「ハッ、二年半ぶりの再会でいきなり犬扱いたぁ、恐れ入るぜ」
 条件反射で思わず嫌味を返し、直後にしまったと臍を噛んだ。この物言いではまるで、指折り数えてでもいたかのようだ。
「社長サン直々にってことは、よっぽどの用なんだろ。勿体ぶってねーでとっとと話せよ」
 心内で鋭く舌打ちを漏らしながら、城之内は動揺を誤魔化すようにふいと顔を背けた。
 用がないなら帰れ、とあからさまな態度で示してはみたものの、頭の中は未だ混乱から抜けきれていない。
 夢かもしれない、などとらしくもないことを考えもした。少なくとも自分にとって喜ばしい話ではないだろうと。
 だってそうだろう。この男が自分を探しあぐねていたなど、まるで理由が見当たらない。
「今日は俺の誕生日だ」
 眉間に深い皺を刻みながら彼の言葉を待っていた城之内に、海馬はそんな、唐突極まりない台詞を投げ掛けた。
「へぇ…、そりゃめでてェな。精々長生きしろよ」
「モクバに何か欲しい物はないか、と聞かれた」
 こんな形で祝い文句を告げたくはなかったな、と胸の内で呟いていたところに、またしても繋がりの解らない言葉を続けられ、徐々に苛立ちが募ってくる。
「テメェ、何」
「俺は、『手に入れたかったものならある』、と」
 食って掛かるべく身体ごと向き直ると、海馬もまた射るような視線をこちらに向けていた。
「手を伸ばさなかったことを今でも後悔している、…と、答えた」
 思わず息を呑んだ城之内の耳に、地面を踏み締める革靴の音がジャリ、と響く。
 それは無意識に後退さろうとした自分の立てたものなのか、それとも近付いてくる男のものだったのか。
 いつの間にか、海馬は城之内の視界を覆うほどの距離に立っていた。
 ジリジリと耳障りな音を立てる外灯の下、青白い顔に浮かぶ青い瞳が、少し上の位置からこちらを見つめている。
(―――嘘だ)
 キンと冷えた空気が頬を差す。
 そんな筈はない。そんなことは有り得ない。
「テメェが何言ってんのか…、解んねェよ」
 目を逸らすことも、呼吸すらも上手く出来ず、城之内は海馬の顔を凝視したまま、嗄れた声を搾り出した。
 これがもし自分を嘲笑う為の罠だったなら、立ち直れない。こんなことで揺らぐ自分が許せない。
 その思いだけで、頬に触れかけた指を手酷く払い落とす。
「何でテメェはそうやって、勝手なことばかり抜かしやがるんだよ…!」
 城之内は拳を握り締め、言葉を地面に叩きつけるように叫んだ。
 駅で見かけた覇気のない背中。気も漫ろな態度。あれが自分の所為だったなど、信じない。この男が自分如きに振り回されるなど。
「城之内」
「変わらなさすぎだぜ海馬。ホントちっとも変わってねェ。人のこと犬だの凡骨だのっつって、こっちが本気で腹立ててても揶揄って遊んでるつもりでいやがるんだ。何でもテメェの思う通りになると思うなよ。俺は犬じゃない、物じゃない。テメェの暇潰しのプレゼントになっちゃやれねェ。そんぐらいのプライドはあんだよ、俺にだって!」
 地団太を踏みたい気持ちでぐいと目の前の胸倉を掴み上げ、矢継ぎ早にそう言い募る。
 悲しいのではない、悔しいのだ。これがたとえ罠であろうとも、海馬の目に映っているだけで嬉しいと感じてしまう自分が。彼の言葉が本心だったらなら、と夢想してしまう自分が。
 涙が出そうになるほどに、口惜しいのだ。
「解ったから落ち着け。…もう日も変わる」
 海馬は、らしくもなく諦めじみた声音でそう呟いた。
 疲れを滲ませた溜息がふっとこめかみに触れ、城之内は思わず彼のシャツを掴む手を緩める。従う義理などないというのに、それ以上憤りをぶつけることが出来なくなった。
 自分とて、惚れた相手の誕生日に掴みかかるなど本意ではない。だがどうしてこの男までもが、こうもやるせなげな表情を見せる。
「モクバから半休を貰ったのでな。貴様から祝いの言葉を聞ければすぐに帰るつもりでいた。……が、顔を見たことで少々欲が出たらしい。不快に思うなら、何も聞かなかったことにしろ」
 乱れた襟を正すこともせず、彼は今度こそ城之内の頬に触れようと手を持ち上げ―――― しかし一瞬の躊躇いの後、ついと横髪を引くに留めた。
 自らそうしておきながら物足りないと言わんばかりに浮かんだ自嘲に、城之内の目が限界まで見開かれる。
「テメェ、まさか本気、とか」
「フン、俺とて何かの間違いだと散々否定しつくしたわ。それこそ二年半もの間な。だが出た結論はこれだ。……全く、時間の無駄だったとしか言いようがない」
 言いながら再度深々と息を吐き、海馬は胸元に引っ掛かる程度に残された城之内の手をゆっくりと押し戻した。
 ただ振り払うだけにしては心持ち長い時間、冷たい指先に彼の体温を感じる。
 少しばかり惜しむように眇められた目と、ついぞ向けられたことのない類の視線が、混乱に拍車をかけた。
 まさか、そんな、都合の良い話が。
「また来るぞ、城之内。俺は所詮、貴様が考えている通りの、自分本位な男だからな」
 くっと皮肉げに喉を鳴らして、海馬は何かを振り切るようにくるりと踵を返した。
 冴え冴えと澄み渡る夜空、月は天頂。外灯の下を離れても、その背ははっきりと捉えることが出来る。
「……てよ」
 奥の歯をきつく噛み締め、城之内は呻くようにそう漏らした。
 やはりこの男は勝手だ。あの頃と何一つ変わっていない。
 言うだけ言って一人だけ満足して、人の胸の内を掻き乱すだけ掻き乱して、背中を向ける。
 そんな仕打ちばかりされて、一体何に気付けと―――…いや、それはもしかしたら、お互い様、だったのか?
「待てっつってんだろテメェ!」
 遠ざかっていく背中に向かって大声で叫ぶと、流石に驚いたらしい彼が珍しく目を丸くしながら振り返った。
 青白い月明かりに縁取られた長身は、何一つ変わらないと噛み締めたばかりの自分の考えを覆すように、やけに頼りなげに見える。
 それが自分の所為だというのか。自分が、彼の求めに応じない所為だと。
 ―――ならば身勝手極まりないその性根を叩き直すのは、己の役目だ。
(テメェにそんな不景気な面、似合わねェんだよ)
 心内で小さく毒吐き、腰の位置でこっそり拳を握りながら、城之内は長年追い続けてきた男の背中を今回もまた全力で追いかけた。
 憂さ晴らしに一発だけ殴りつけたら、今度こそ素直に伝えようと思う。

 テメェが生まれてきてくれて良かったよ、と、心からの言葉を。







+ END +




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長かった…よ…! 書き始めた時はかるーい話にしようと思ってたのに、何故こんなことに。
うちの話にしては珍しく、時間軸がちょっと先の設定になってます。
とは言え、彼らの未来に関しては、原作にない設定をあまり勝手に作ってしまいたくないので、城の職業とかにも敢えて触れませんでした。

とにもかくにも遅くなってごめんなさい社長。暗くなってごめんなさい社長。
最後殴られるっぽいけど我慢して下さい社長。
そんでもって ハッピーバースデー社長!!

■ 2008.11.03 ■