「げっ、何だよ降ってんのかよ」
店を出るなり、城之内はハァ、と重苦しい溜息を吐いた。
バイトも終わり、さぁこれから帰ろうかという時に。ぴちぴちと音を立てて路上に浮かぶ波紋を恨めしげに眺め、次いで空一面に広がる暗雲を睨みつける。
「やっぱ傘持って来ときゃよかったぜ…」
ぼやいても後の祭りだ。
晴れの日でも折り畳み傘を持ち歩くような周到さがあれば結果は違っていたのだろうが、生憎と彼の性格は大雑把だ。降水確率80%の天気予報を見ていたにも拘らず、まぁ何とかなるだろう、と運任せな判断をして失敗している。
そして今もまた。
「でもまぁ、大した降りじゃねーし、いっか」
平気だろ、と独り言ちて、城之内は徐々に雨足の強くなり始めた雨の下へ足を踏み出した。
summer shower
「……何でここにいるんだろうな、俺」
明らかに場違いだろうと思われる光景に目を見開き、ぽかんと大きく口を開ける。
彼の目の前に広がるのは、団地の一室がすっぽり入ってしまうのではないかと思うほどの広さを持つ、豪奢なバスルーム。
酷くなっていく雨に諦めモードでずぶ濡れていたところを、何の気まぐれか知らないが仕事帰りの海馬に拾われたのだ。
『まず風呂に行け。濡れたまま屋敷を徘廻されては困る』
ならば拾わなければ良いだろうに、海馬はさも当然のことのようにそう告げると、戸惑う城之内にいつもの小馬鹿にしたような笑みを向けてきた。
それが、つい先程のこと。
「のこのこ付いてきた俺も俺、か…」
浴室のガラス戸に背を凭せ、城之内は軽く息を吐く。
不意に車が横付けされ、見慣れた顔が「乗れ」と不機嫌そうに促した時―――困ったことに、自分は喜んでいたのだ。
あからさまなほど高鳴った心臓の音を思い出して、頬が熱くなる。
恐らくは海馬が、常ならば他人に何の関心も示さないであろうあの男が気まぐれにでも人の身を案じた、そのことが嬉しかったのであって。
その相手が自分だった、とか、言葉じりが優しかった、とか、そんなことに喜んでいたわけではない。ない、筈だ。
(ない…よな、多分)
気恥ずかしさを誤魔化すように、城之内は熱い湯を勢い良く頭から被った。
用意されていた衣服を身に纏い、使用人の女性の案内で海馬の私室へと向かう。
肌を撫でる上等な布の感触は彼を酷く落ち着かない気持ちにさせたが、それよりもこれから入る部屋の方が問題だ。
落ち着かない、どころの騒ぎではない。
(だぁーっ、もう、何で俺があんなバカイバの所為で緊張しなきゃなんねェんだよ!)
がぁっ、と突如声を発した城之内に驚き、女性は目を丸くしてぴたりと足を止めた。
「あっ、いや、すんません…」
慌てて軽く頭を下げると、訝しげな視線がチクチクと頬を突く。こんな不審者を本当に主の元に案内してもいいのかと自問しているような顔だ。
だが招かれたこちらとて戸惑いの絶頂にいるのだから、多少の挙動不審には目を瞑って貰いたい。
「こちらでございます」
「…ども」
奥まった部屋の前で深々と頭を下げ、彼女はしずしずとその場を退いた。
さて…どう扉を開けたものか。城之内はぽりぽりと指で頬を掻きながら思案する。
礼儀としてはノックをするべきなのだろうが、ハッキリ言って、癪だ。同い年の相手を敬っているような気分になるし、何より相手があの男では、礼節を弁える気にもなれない。
「よっし、邪魔するぜ海馬ァー!!」
逡巡の末、城之内は道場破りもかくや、という大声と共に、勢い良くドアを開け放った。
薄暗い部屋の中、主の座るデスクの周りだけがモニターの光に青白く照らされている。
「喧しい。ノックの仕方も知らんのか、犬め」
画面に目を向けたまま、海馬は呆れきったように溜息を吐く。
「うるせェ。テメェ相手に礼儀を重んじてなんかいられっか」
「フン、こういった時にこそ普段の立ち振る舞いや生活態度が反映されるというものだ。下民には理解出来んだろうがな」
……小馬鹿にする時だけしっかりと目線を合わせてくるのは、かなり意地が悪い。
その上いつものようにフフンと鼻で笑われ、城之内は再びがぁっと奇声を上げそうになった。
腹立たしい。血圧が上がる。―――いや、上がっているのは室温か、それとも体温か。
ひんやりとした室内はそれだけで快適な筈なのに、この男と向かい合っているだけで段々と頬が上気していくのを感じた。
縁の細い眼鏡をかけた見慣れない姿に、心臓がどくりと大きく脈を打つ。
(だあぁムカつく…!)
憎たらしい視線がこちらを向いたというのに、どうして苛立ちよりも喜びの方を大きく感じてしまっているのだろう。
思い通りにならない身体が口惜しく、もどかしい。
(ムカつくー…)
奥の歯を噛み締めながら、城之内は肌を撫でていくクーラーの風にぞくりと肩を震わせた。
次いでくしゅっ、と小さなくしゃみを漏らす。
「…貴様」
だがそれを聞くなり、眉根を寄せた海馬がどこか険しい表情のまま、つかつかと歩み寄ってきた。
「な、何だよ?」
思わず仰け反って後退ると、不機嫌な色を濃くした顔がずい、と至近距離にまで詰め寄ってくる。まさに吐息が触れるほどの近さ。頭の中は真っ白だ。
おもむろに伸ばされる腕。…そして。
「髪も満足に拭けんのか、馬鹿犬が!何の為に風呂に入れたと思っている!」
「ッ、!!?」
反射的に瞑ってしまっていた目を開くと、海馬の手は城之内の肩に掛かっていたタオルをむんずと掴んでいた。そしてそのまま、彼の髪をガシガシと無遠慮に掻き回し始める。
「ッて!イタっ、痛ェって!!」
「黙れ」
声音こそ冷たいものの、抗議する前よりは幾分手付きが優しくなる。
(なっ、何だ何だ何だー!?)
ボッと火を吹きそうなほど熱くなった頬を隠すように、城之内は慌てて下を向いた。そうすることで拭きやすい角度になったのか、髪を拭く海馬の手指は更に優しく、まるで頭を撫でるように水気を拭っていく。
顔が隠れていて良かった、と心底思った。
(今絶対真っ赤だぜ俺…)
パサパサと横の髪が落ちるたび拾い上げていく形の良い指。耳の端を霞めるその感触にぶるりと震えが走りそうになる。
スマートにカードを操るあの指が、駄犬と罵って止まない自分の頭を拭いているだなんて、一体どんな奇跡だろう。
「拭きづらい。もう少し屈め」
言われて素直に背中を丸めると、小さく笑う気配がした。
「気持ちいいのか?」
「ん…、」
彼の手が刻む心地好いリズム。
掻き混ぜられる髪からは細かな水滴がパタパタと。
(きもちいい…)
ふぁ、と小さな欠伸を漏らし、城之内は重くなってきた瞼をゆるりと下ろした。気を抜けばすぐにも眠りの波に攫われてしまいそうなほど、その手は確かな安らぎをくれる。
「寝るな」
「ん…」
ぽす、と胸に額を押し当てられ、海馬は苦笑しながら城之内の背を叩いた。
「まだ軽く拭いただけだ。ドライヤーを掛け終わるまで寝かせんぞ」
「ねみぃ…」
「駄目だ」
軽く肩を抱いたままソファへと移動を促す。
もつれそうになる足を引きずって、城之内はフラフラと歩を進めた。
やはり、と言おうか。
堪えきれなかったのだろう。ソファに着くなり眠り込んでしまった城之内の頭を己の膝に乗せ、海馬は丁寧にドライヤーをかけてやっていた。
手櫛で梳く蜜色の髪はもう殆んど乾いていて、さらさらと指の間を滑り落ちていく。
撫でられる感触が心地好いのか、城之内は時折口元に柔らかな笑みを浮かべていた。安らぎに満ちたその様に、海馬はふと苦笑めいた表情を覗かせる。
「まったく…少しは警戒しろ、馬鹿犬が」
独り言ちた口唇が緩やかな弧を描く。
カチリ、とドライヤーのスイッチを切った。
ボタンを詰めていないシャツの胸元からは、湯浴みの名残でほんのりと赤い肌が見え隠れしている。誘われるままするりと首筋を撫で上げれば、ぴくりと微かな反応が返った。
「う、ん…」
身を捩る仕草と甘い掠れ声に、ふぅっと長い息を吐く。
「生殺しだな…」
自嘲気味に口の端を歪めながら、ぽつりとそんな言葉を漏らしていた。
無意識のくせによくもあれだけ煽ってくれたものだ。常にない彼の仕草の一つ一つを思い出し、喉奥で含み笑う。
赤く染まった耳の端も、寄りかかってきた熱い身体も、間違いなく自分の接触を許していた。天敵だと公言する彼の口唇から雫れたのは、嫌悪の声ではなく安堵の吐息。
気付かれないとでも思ったのだろうか。
「望むならいくらでも触れてやるぞ。…いくらでも、な」
笑みを含んだ声音で耳元に囁くと、耳朶に触れる呼気がくすぐったかったのか、もぞもぞと寝返りを打たれてしまった。
隠された表情。だがその耳の端が仄かに……赤い?
「……自惚れてんじゃねーぞ」
海馬の耳に届かないほどの小声で呟いて、城之内は照れ隠しのようにぎゅっと目を瞑った。
口唇をなぞる指先を拒めなかったのは、不覚。
+ END +

携帯サイトでの700hitリク、駿河伊代さまより『海×城、出来ればエロ』…だったのです、が。
エロくなりませんでした…申し訳ありません(泣) 辛うじて社長が寝込みを襲いかけている程度。
このヘタレめ…!(私がな)
■ 2002.07.31 ■