黄色い太陽

「……………」
「……………」
「…………」
「………」
「ッ!?…ってぇ!いきなり何しやがんだよ!!」
 突如として後頭部を襲った衝撃に、城之内は涙目で背後を睨み付けた。
「フン、あまりにも愚かな間違いをするからだ。そこは昨日も間違ったところだろう。同じ過ちを繰り返すとは、流石駄犬といったところか」
 尊大な態度でしゃあしゃあと言って退ける男は、どこまでもわざとらしい溜息を吐いている。反論したい気持ちは山々だったが、彼の言うことも尤もである為、強く出れない。
 城之内はぐぅと低く呷いた。


 こんな放課後のやりとりも今日で三日目だ。
 何でこんな奴と、などと思いつつも、文句を言える立場ではない。
 ただでさえテストは赤点だらけだというのに、バイトのない日は遅刻常習。出校日数に問題は無いものの、出席時数は明らかに不足している。
 如何ともし難い成績と、居眠りばかりの怠惰な授業態度。片方だけならまだしも、両方揃っているとあらば十分「留年」の理由に成り得たらしい。
 先日担任に告げられた言葉がぐるぐると頭を回っている。


 『お前、このままだとヤバいぞ』


 机に突っ伏したまま、城之内は鈍痛を訴える後頭部をさわさわと撫でた。
 どうしようもない自分に踏ん切りを付けたくて入った高校。こんなところで躓きたくはない。
「ったく、ちょっと間違えたくらいでボカボカ殴ってんなよなー」
「安心しろ。貴様の頭なぞ元から最低レベル。多少脳が揺れたところでそれ以上悪くなることはない」
 くつりと意地悪く笑んだ口元に心底気分を害しながら、城之内は相手の代名詞とも言うべき青い瞳をキッと見据えた。
「るせぇ、余計なこと言ってねーでとっとと教えやがれ!」
 教えを請う側とは到底思えない横柄な態度に、海馬の目にも剣呑な色が浮かぶ。

 留年を回避する為に教師が出した条件。
 それは「次の考査で赤点を取らないこと」であり、海馬に出された条件は「城之内に赤点を取らせないこと」だった。
 何故海馬にまで条件が出されたのかと言えば、答えは至極明瞭。
 城之内とは逆に「成績優秀だが出校日数が足りない」海馬にも、不本意ながら留年の二文字は微笑みかけていたのである。
 仕方無く時間を作り、言われた通り犬の世話をしてやろうと学校に赴いてはいるのだが―――どうにも覚えの悪い城之内に苛立ちばかり募っているのが現状だ。

「教えて貰う立場で随分な態度だな凡骨。俺は構わんぞ?貴様が赤点満点で留年しようと、俺にはさして関わりのないことだからな」
「何言ってやがる。俺が赤点取って困んのはそっちだろ。天下のKC社長様に『留年』の肩書きが付くことになっても知らないぜ?」
 余裕たっぷりにそう告げて、城之内は愉しげに目を細めた。…シニカルなその笑みの裏ではツツ、と冷や汗を流しながら。
 だがやはりと言おうか、海馬はそれに動じる様子もない。
「フン、そんなもの、教育委員会に多少圧力を掛けてやれば…」
「ぎゃー!ろくでもねーこと考えてんじゃねェよこのバカイバ!後々俺が睨まれんだろーが!」
 暗雲を背負った笑みを浮かべている海馬に、城之内は大慌てで抗議する。
 その彼の髪が、いつの間にか淡い夕焼け色に染まっていた。
「もうこんな時間か」
 移ろいゆく空の色に、海馬は小さく舌打ちする。
 つい先刻まで外の梢の影を黒々と落としていた太陽は、橙色の透明な光を放ちながらビルの谷間に沈もうとしている。
 夏の陽は長いとはいえ、授業の終った時間を考えれば明るいうちなど極僅か。それでも日が暮れて暗くなれば城之内がぐずり出す為、そうそう長居も出来ないのだ。
「なぁ、さっさと終らせて帰ろうぜー?」
 のほほんと告げてくる事の元凶は、どこまでも海馬の神経を逆撫でてくる。
「そう言うからには、先刻の問題は理解出来たのだろうな」
「…………あは。」
 両頬に手を沿えて首を傾げる不気味な様に、海馬は思わず眉間を押さえた。
 椰揄い半分で圧力云々などと言いはしたが、それを実行に移すなど到底無理な話だ。有り得ないことだが万が一表沙汰にでもなれば、海馬コーポレーションの信用はガタ落ち。それ以前に、自身のプライドの問題でもある。
 するとここは城之内を徹底的に扱くしかない。
「合宿だな」
「あン?」
「考査までの残り4日間…、俺の屋敷で集中講義を行うことにする。思う存分勉学に勤むがいい、凡骨め!」
 ワハハハハ!と今にも高笑いを始めそうになった彼を、城之内は必死に押し止めた。静かな放課後の校舎内は、普通の声でさえ響きやすいのだ。
「つーか何で泊まり込みなんだよ?」
「その方が俺も仕事の片手間に付き合えて丁度良い。言っておくが考査当日までは屋敷から一歩も出さんからな。多少のスパルタは覚悟しておけ…?」
 ドスの効いた声音で優しく、言い含めるように。
 にっこりと目前で微笑まれ、城之内は我知らずカタカタと歯の根を鳴らしていた。





「だあぁぁもう飽きたー!」
 空調の効いた海馬の私室で、城之内は赤線の引かれた世界史の教科書を広げていた。
 否、広げた上にパッタリと顔を伏せていた。
「貴様…、先刻もそう言って中断しただろう。そんなことでは世界史の赤点は免れんな」
 呆れ返った声音が耳に触れる。チラリと横目に視線を流すと、仕事の手を休めてこちらを見ている海馬の顔が目に入った。
「うっせ。大体こんな大昔のことベンキョーして何になるってんだ。英語とか数学はまだ役に立つかもしんねーけど、世界史とか古典とか…実生活に必要なくねー?」
 口唇を尖らせながらぶつぶつとそうぼやき、目に落ちた色素の薄い髪を手櫛でさらりと掻き上げる。
「フン。負け犬の何とやら、だな」
「だからその犬扱いヤメロっての。つーか何だよ、普段は『カコなど云々!』とか言って熱弁奮いやがるくせによ」
 じとりと睨みつける視線に、海馬の笑みを含んだ声音が被った。
「『人のフリ見て我がフリ直せ』。先人の愚行は自らの良い教訓になるぞ?重要な教科だ」
「………世界史ってそーゆーコトを目的としてんのか…?」
「さてな」
 話は終わりだとばかりに視線を戻した海馬は、しかし一向に勉強を再開しようせず、うだうだと机上に俯せている城之内に―――目についた翡翠のペン立てを投げつけてみることにする。
「ぎゃあぁっ!なんつーモン振り被ってやがる!」
「…気付いたか」
 チッ、と口惜しそうに舌を打つ様に、城之内は慌てて席を立った。あたふたとテーブルの陰に身を隠し、声を裏返してぎゃんぎゃんと吠え立てる。
「ばかやろっ、何考えてんだよ!そんなん当たったら死ぬぞ俺!?」
「馬鹿に馬鹿と言われる筋合いはない。一撃で楽にしてやるから大人しくしていろ」
 ニヤリと嫌な笑みを浮かべた海馬に、城之内は思わず天を仰いだ。
 あぁもう何でこうなるのか。最早溜め息しか出てこない。
「わぁーったよ!真面目にやりゃーいいんだろ、真面目に」
 言ってのろのろと椅子に座り直し、シャーペンの後ろ側を口にくわえた。
 教科書に引かれた赤線は憂鬱の種だ。





 暗闇の中、瞼を震わせ、そっと目を開ける。
 どうやら眠り込んでしまったらしい。段々と暗闇に慣れてくる視界に、か細い息が漏れた。
 あの後、暫し本当に真面目に暗記に取り掛かって。海馬のヤマ張りのお陰で随分と範囲も絞られており…それで、少し気が緩んだのかも知れない。
 練習問題を数問解いたところまでは覚えている。
 突き詰めて言えばその後はふわふわとした微睡みに浚われてしまって、何をしていたかも定かではないのだ。ノートにはミミズがのたくったような字が残されているに違いない。
「あと2日しかないっつーのに…」
 つくづく向いてないんだな、と城之内は一人苦笑した。
 広い部屋は静まり返り、重厚感のある遮光カーテンが月光さえも押し隠している。
 …無意識に、ライトのスイッチを探していた。
 水平に伸ばされた手の平にベッド脇のキャビネットの角が触れる。上に乗せられたスタンドライトは土台に指先が触れただけで淡い光を灯した。
 ホッと息を吐く。
 背中に当たるスプリングの感触が心地良い。寝室まで歩いた記憶は更々無いから、恐らくは海馬が運んでくれたのだろう。
(昨日もだったしなー…)
 眠い目を擦りながら、城之内はゆっくりとその身を起こした。
 キャビネットの時計は午前1時を指している。昨日と同じ状況なら、海馬はまだ隣室で仕事をしている筈だ。
 自分に問題を解かせている間も常に書類、若しくはノートパソコンを手元に置いている。
 片手間に教えてやると言った通り、四六時中見て貰っていたわけではないが……それでも、確実に海馬の時間は削られていた筈だ。
「…ったくよぉ」
 続き部屋になっている隣室からは、僅かに白い光が漏れてきていた。
「カラダ壊したらどうすんだよ」
 ぽつりと呟く声は、どこか拗ねたような響きで以て静寂に溶け込む。
 喉の乾きを覚えて起き出した昨夜、ドアの向こうには難しい顔でモニターを覗き込む海馬の姿があった。
 少し、疲れの色が見えた気がする。
 罪悪感なんて持ちたくはないが、ジクリと痛んだ胸は否めない。
 今日もまだそこにいるのだろうか。
「……海馬?」
 そろそろと、隣室への扉を開いた。部屋の奥のデスクには、案の定彼の姿がある。
 けれど。
「あれ?」
 すぅ、と。聞こえたのは微かな寝息。
 近付いて覗き見た海馬の寝顔に、思わず頬が緩んだ。
「マヌケな面してやがるぜ」
 椅子に背を凭せたまま眠っている海馬から、いつもの尊大さは窺えない。強い光を湛えた双眸は閉ざされ、薄く開いた口唇から雫れる寝息はどこまでも優しい。
(…知らなかったな)
 あの嫌味な顔が、眠りに就いただけでこんなにも柔らかく見えるなんて。
 書類を読む時は眼鏡を掛けることや、ペンの後ろに口唇を当てる癖。それに、意外と面倒見が良いということも。
 こんな事態にならなければ、一生知らずにいたかもしれないことだ。何せ自分たちは、お互いに興味がなさ過ぎた。
 出来るだけ空気を動かさないように慎重に動き、そっと眼鏡を外してやる。露になった目元はやはり疲れを滲ませていて、城之内は僅かな罪悪感に口唇を噛み締めた。
「絶対、いい点取るから」
 言って踵を返した彼は、先刻まで寝ていた寝室から上掛けを持ち出し、片端を海馬に、もう片端を自分の身体へと巻き付ける。
 本当はベッドまで運んでやりたかったが、流石に自分より上背のある男を起こさず運びきるなどという芸当は出来そうになかった。
 起きればまた仕事に戻ってしまうだろう。ならばこのままゆっくり休ませてやりたい。
 漏れ聞こえる穏やかな寝息に、城之内はふいと目を細めた。
 明日は早起きして今日の続きをしよう。寝不足の目では太陽が黄色く見えるかも知れないが、この男をそんな目に合わせるよりはましだ。
(こいつならトチ狂った目で「美しい…!」とか言いそうだけどな)
 想像してくつくつと笑いが漏れた。
 けれど、本当に綺麗な朝日はそんなものではないから。自分の所為で偽物の太陽など拝ませたくない。疲れさせたくない。
 余計な手間を掛けないように、時間を取らせないように、効率的に。
 俺には似合わない言葉だなと笑いながら、城之内は再びゆっくりと瞼を下ろした。
 眼鏡を掛けたこいつの顔は嫌いじゃない。時折構ってもらえるのも。
 地獄だと思っていた考査までの日々が、少しだけ楽しみになった。







+ END +




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携帯サイトでの1000hitリク、葵さまより『赤点大王の城之内に社長がお勉強を教えるお話』でした。
くっついてないのでカプ要素が少なめですね…。
社長は何だかんだ言っても兄気質なので、面倒見は良いと思います。

■ 2002.08.27 ■