Happy Birthday1
キンと冷えた星空を見上げ、白い息をふうっと吐き出す。
バイト疲れの身体を引きずって帰路に着いたのは、二十三時を過ぎた頃だった。
漸く「それ」と思い当たった城之内は、古びた腕時計をチラリと見遣り、「あーあ…」と自嘲気味に口許を歪める。
「今年も忘れるとこだったぜ。履歴書書く時くらいしか思い出さねェしなぁ」
淡く発光する文字盤の表示は、「1/25‐23:06」。
チカチカと点滅を繰り返す秒表示を何とは無しに眺めながら、城之内は殊更ゆっくりと歩を進めた。
息を吐くたび白く染まる視界は、じんわりと湿った熱を鼻先に伝えている。
バイトさえなければ本田たちに奢らせることも出来たのに、と小さく含み笑い、ふと足を止めて再び空を振り仰いだ。
あの優しい友人たちのこと、「それ」と告げれば喜んで祝ってくれただろう。
ケーキにシャンパンにプレゼント。惜しいことした、などと冗談めかして舌打ちながら、冷たい頬に剥き出しの手の平を押し当てる。
誰かにこの日を祝って貰うなんて、もうずっと有り得なかったことだ。
あまりひけらかすような真似をしない所為もある。別段隠していたわけではないのだが、無意識にその話題を避けていたのも事実だ。
もう、何年前になるのだろう。
実の母親に、泣きながら首を締められたのは。
室内灯がふわふわと夢のように霞む視界。すぐ傍を通った消防車のサイレンだけが今も耳にこだましている。
日を追う毎に酷くなる父の暴力。報復を恐れて耐えるしかなかった母は、いつしか暗く血走った目で自分を見るようになっていた。
憎しみの矛先をどこかに向けなければやりきれなかったのだろう。本気で自分を憎んでいたわけではない、……と思う。
けれど、頭ではそう解っていても、幼い心はやはりそのショッキングな出来事を許容することは出来なかったのだ。
血色の悪いかさついた指先が、自分の喉をじわじわと締め上げていく感触。
頬に落ちる生温かい涙。
咽び泣く母の声。
未だ忘れることなど出来ない。
どうしてよりにもよってあの日だったのだろう。何でもない日だったなら、こんな風に改めて思い出すこともなかっただろうに。
「……バッカみてェ」
思考がどうにも自虐的だ。くつくつと喉奥で笑って再び歩き出す。
生まれて、出会えて、嬉しかった人は沢山いる。同じように思ってくれている人も確かにいる。
過去は過去、現在は現在。
……解っているつもりなのに。
丁度小道に入る角を曲がり切った時だった。
「城之内くん!」
寒さに我が身を擦っていた城之内の耳に、聞きなれた声音が飛び込んできた。
まさかと思い視線を巡らせば、道沿いのコンビニから見知った面子がわらわらと顔を出す。
「こんばんは〜城之内くん」
「ったく、遅ぇぞ。バイトは十時上がりの筈だろーが」
「道変えたんじゃないかって焦っちゃったよ」
「時間的にもギリギリだしね。間に合って良かった!」
ぽかんと呆けている城之内に、獏良、本田、御伽、そして遊戯が口々にそう声を掛けてくる。
「何だよお前ら、こんな時間に…」
「お誕生日おめでとう! 城之内くん」
満面の笑みで告げられた言葉に、城之内は「え、」と目を瞬かせた。
「え…、だって俺、言ってねェよな?」
「うん、静香ちゃんが教えてくれたんだ」
「彼女インフルエンザにかかっちゃったらしくてさ。ホントは直接渡したかったんだけど、って……ほら」
言いながら、御伽は可愛らしくラッピングされた包みを差し出してくる。
中から出てきたのは、一組の手袋。濃い茶色のそれはどう贔屓目に見ても編み目が不揃いで、不器用な妹が懸命に編んだのだろうことが窺えた。
「お前に渡してくれって、今朝杏子の家に届いたんだとよ。とは言えアイツも一応女だからな。こんな時間に出歩かせるわけにも行かねぇし、俺らが預かったってワケだ」
「バイト先に押し掛けるのも悪いから、ここで待ち伏せようってことになってね〜」
苦笑する本田の後ろから、獏良もひょこりと顔を出す。
手袋を見つめたまま固まっている城之内を見上げ、遊戯は小さく首を傾けた。
「城之内くんのことだから忘れてるか、もしかしたら言いたくなかったのかなとも思ったんだけど。やっぱりボクたち自身がお祝いしたくてさ。迷惑だったらごめんね?」
「迷惑って……、ンなことあるわけねーだろ! ちっと驚いただけだ」
慌ててぶんぶんと首を振る彼の様に、遊戯の小さな肩からほっと力が抜ける。
あまり自分のことを語りたがらない彼のこと、有難迷惑になるのではないかと随分悩んだのだ。
「じゃぁボクたちからのプレゼントも受け取って貰えるかな」
「おぅ! 勿論だぜ!」
ニッと笑った顔の子供っぽさに、遊戯は思わず頬を緩めた。
それは皆も同じだったようで、紙袋を下げた本田を振り返れば、やはり苦笑めいた笑みを浮かべている。こうも素直な反応をされてはこちらが照れる、といったところだろうか。
遊戯はそんな本田の手から袋を受け取ると、ごそごそと中身を取り出して城之内の前にずいと差し出した。
「これ、皆で買ったんだ。あっ、杏子もだよ」
「つーか選んだのアイツだしな」
「女の子はやっぱこういうの選ぶセンスがあるよね」
真っ白なその包みには綺麗なグリーンのリボンがかけられている。結構な大きさで、何だかフカフカとした触り心地。
城之内は手の中のそれと遊戯の顔を交互に見比べ、些か興奮気味に「開けてもいいか?」と問い掛けた。「どうぞ」と返される声は酷く楽しげだ。
しゅる、とリボンを解き、慎重に包装紙を剥ぎ取っていく。
「……服?」
薄紙に包まれたそれは、黒に近い、チャーコルグレイのロングコートだった。厚手の質感に反してごわついた感はなく、意外にも柔らかい。
「皆ろくに金無くて、あんま上等なシロモンじゃねぇんだけどよ」
「それでも今の上着よりは断然暖かいと思うよ〜」
目を瞠ったまま硬直している彼の頭を、御伽は苦笑混じりについと小突いた。
「折角だし、着てみてくれよ」
慣れないシチュエーションに照れているのか、戸惑うような視線を向けてくる城之内は普段より随分と頼りなげに見える。
何か言いたげに動く口唇が、結局何の言葉も紡ぎ出せずにぎゅっと引き結ばれた。
ぎこちなく袖に腕を通し、静香に貰った手袋もはめてみる。
「おー、いいんじゃねぇ?」
「似合う似合う」
「ホント、馬子にも衣装だね〜」
…全てを台無しに仕掛けた獏良は全員で睨み付けておいて。
「で、感想は?」
「サイズとか大丈夫か?」
おどけた口調で問い掛ける本田を押しのける御伽。
城之内はただじっと俯いて、自身の爪先を見つめていた。
「城之内くん?」
「何だよ、腹でも痛ぇのか?」
一人ワケ知り顔の本田が強張った肩に手を回し、ニヤニヤとその顔を覗き込む。
それを手荒く振り払って背を向けた城之内の耳は、夜目にも分かる程真っ赤に染まっていた。
「見んなよ…!」
少し怒ったように聞こえる声が可笑しくて、面々は顔を見合わせてクスリと笑う。
―――と。
「城之内くん」
唐突に、遊戯の声音がワントーン下がった。
その変化に気付いた城之内は、火照る頬を押さえながらちらりともう一人の親友へ視線を向ける。
「誕生日、おめでとう」
「遊戯…」
告げられた言葉にやはりどんな顔をしたら良いのか解らなくて、逃げ出してしまいたくなった。
握り締めた拳が小さく震える。情けないとは思うがどうしようもない。こんなにも真摯な祝いの言葉を聞くことなど、もう一生ないと思っていた。
「生憎俺にはあげられる物が何もない。だが、これだけははっきりと伝えておくぜ」
「……?」
思わず身体ごと振り返った城之内の目に、真っ直ぐな、鋭い深紅の瞳が映り込む。
「君が生まれて、ここにいてくれて、本当に良かったと思っている」
強い眼差しに反した優しい声音。
真摯な瞳と緩く笑んだ口許に、城之内はくしゃりと顔を歪めた。琥珀色の瞳が泣き出しそうに淡く揺らめく。
もう大丈夫だ、と。
心の中で小さな声がした。
躊躇いがちに指先を伸ばせば一まわり小さな手が力強く捕まえてくれる。それだけで過去の何もかもを忘れられる気がした。
救われるような、とは、きっとこんな気持ちのことを言うのだろう。彼らといるといつも感じることが出来る。
「……ありがとうな」
鼻下を擦りながらの今更な台詞にも、友人たちは優しく笑ってくれた。
「ったく、遊戯にゃ敵わねぇな」
「ああいう台詞はこっちの遊戯くんじゃないと言えないよね〜」
にこにこと微笑む獏良に、件の遊戯がむっと唸っている。妙なことは言ってない筈だと訝しんでいるのだろう。
楽しくて楽しくて、幸せで堪らない。一緒になって笑っていれば、つまらない過去など本当に消してしまえそうだ。
今はまだ無理だけれど、いつか「あの時は苦しかった」と、弱みを曝け出せる日がくるかもしれない。彼らならきっと、「昔のことだろ」と背中を叩いて茶化してくれることだろう。
城之内は零れそうになった涙を堪えるように、今日何度目か星空を仰いだ。
自分の居場所は、確かにここにある。
あの悪夢の日に取り上げられた自身の存在意義を、今漸く取り戻せたような気がしていた。
Happy Birthday.
+ END +

城之内BD話・友情編(not 遊×城)。城之内くんを幸せにしよう計画。
そして 海城編 へと続きます。
■ 2002.01.31 ■