Happy Birthday2
明日は静香の見舞いに行こうと約束して、遊戯たちと別れた。
足取りが軽い。身を包むコートと手袋の温もりに我知らず笑みが浮かんでくる。
まだ前だけを見て歩くことは出来ないけれど、後ろ向きに自虐を繰り返す時間はもう過ぎたのだ。幸せだと、素直に喜んでいたい。
「あったけぇ…」
立てたコートの襟を掻き寄せて、城之内は一人くつくつと笑った。
もしもこの幸せが長く続かず潰えたとしても、優しい時間を過ごした記憶だけはずっと心に残り続ける。毎年廻り来るこの日を、嫌な思い出だけで塗り潰さなくてすむ。
それが、涙が出そうなほどに嬉しい。
『君が生まれて、ここにいてくれて…本当に良かったと思っている』
「…ヘヘ」
もう一人の遊戯の真摯な眼差しを思い出して、思わず足が止まった。
幸せ、だ。
あまりにも幸せすぎて目の奥がひりひりする。
いつかこの日々が終わる時が来たら―――本当に、思い出だけになってしまう時が来たら。
自分はそれでも立ち止まらずに、歩けるだろうか。
「らしくねェなぁ」
何考えてんだか、と苦笑交じりに漏らした呟きが、人通りのない夜道に空々しく響いた。
一つ大きく深呼吸をして、冷たい空気を胸いっぱいに吸い込む。
「今が良けりゃそれでいい、だろ」
贅沢にも先を望めば、失う瞬間はもっと辛い。考えないことだと緩く首を振る。
…それでも「今」を信じているなら、何も不安に思うことはない筈なのに。
「だぁーもうヤメヤメ! 折角のいい気分が台無しになっちまう」
パンッと頬を叩いて、城之内はきつく目を瞑った。
静まり帰った住宅街で、鼓膜を震わせるのは自分の呼吸と確かな鼓動。規則正しく脈打つ音に酷く安堵する。
ここにいる。
生きている。
認めてくれる人がいる限り、それは確かなことだ。
『本当に良かったと思っている』
「ありがとな…遊戯」
城之内は沈んだ思考を振り払うように毅然と前を見据えた。
幸せだと思えるうちは本当に幸せ。
だから、つまるところそれでいいのだ。後から付いてくる何かに今から怯えていても仕方ない。
(そういや、先ばっか見てる奴もいたっけな)
思い返して城之内は苦く笑った。
その彼に馬鹿にされそうなことばかり考えていたからだ。
家が近付くにつれて城之内の歩みは遅くなった。
コートの襟を握り締めて暗い団地の並びを眺めやる。
……憂鬱だ。
「親父、寝てっかな」
腕時計に目を落せば「1/25-23:48」の文字が見て取れた。まだ「今日」は続いている。
せめてこの日が終わるまでは、幸せな気分を壊したくない。
「適当に時間潰すか」
溜息と共に呟いて、通りすがりの公園へと足を踏み入れた。
息で曇る視界に白い星。
チカチカと瞬くそれが流れる瞬間を待っていた頃もある。
キンと冷えた寒空にひとすじの熱が流れ、落ちて死に逝く様を何も知らずに綺麗だと。
一度は底辺まで落ちた自分を思い遣って、それが只の足掻きでしかないと気付いて。
城之内は苦い思いで口の端を吊り上げる。
変わったよなぁ、と多少自嘲気味に含み笑った。
過去はもう捨てていい。記憶に蓋をしてもいい。けれどどうしようもないあの頃の自分も間違いなく「自分」で、それを無かったことにしてしまうのはまた逃げることになるのかもしれないと―――今更詮も無いことをことを、ぐるぐると考えた。
幼い自分が落ちる星に祈ったことと、堕ちていく自分が自分自身に課したことは同じだったのかもしれない。
強く、在りたい。
痛みを伴うほど切実に祈った所為で、少し方向がずれてしまっただけだ。
(あいつなら全部キレーに切り捨てちまえんのかな)
「……何考えてんだ、俺」
不意に脳裏を過った男の姿に、城之内は慌ててぶんぶんと頭を振った。
あの男の遣り方は滅茶苦茶だ。だからその強さを羨むことだけはしたくないと、ずっと思っていた筈なのに。
「……?」
俯き気味だった顔を上げた彼は、公園で唯一煌々と灯っている街灯の下に黒い人影を見つけて思わず眉間を曇らせた。
こんな時間だというのに先客だろうか。暗闇が苦手な城之内も、当然そこのベンチを狙っていたのだが。
(相席するほどじゃねーし…。しゃーねェ、真っ直ぐ帰るか)
家に辿り着く頃には「今日」も終わっているだろう。
少しばかり憂鬱な気持ちで言い聞かせながら、踵を―――
「待て、凡骨」
「…………」
…踵を、返そうとしたところで。
馴染みのありすぎる声が、笑み混じりに引き止めてきた。
心臓に悪い。
全くもって、心臓に悪い。
「何でテメェがここにいんだよ…。アメリカ行ってんじゃなかったのか?」
振り返って目を凝らすと、案の定そこには先刻脳裏を過ぎっていった男の姿があった。
不機嫌も露に詰め寄れば、ベンチに踏ん反り返った彼はフンと尊大に鼻で笑い、
「一時帰国だ。明日にはまた向こうに戻る」
深夜にも拘らず煩い犬だなと、小馬鹿にしたように口角を上げてみせる。
するりと立ち上がった海馬の目は、解かっていたことだが、少しだけ見上げる位置にある。見おろす、ではなく、見くだされているようで余計に腹立たしい。
「で? お忙しい社長さんがこんなとこに何の用だよ」
「人待ちをしていただけだ。用もなくこんな場所に来るほど暇ではない」
「人待ちィ〜?」
らしくないその台詞に、城之内は訝しげな顔で首を捻った。
天下のKC社長様が、恐れ多くも誰かを待ってらっしゃるそうな。
「似合わねー…」
「フン、相変わらず礼節に欠けた犬だ」
半ば呆然と呟く様を忌々しげに眺めながら、海馬はふうっとわざとらしい溜息を吐いた。
「つーか何でこんな辺鄙なとこで待ち合わせてんだよ。もっと街中の方とか…どっかあったかい場所で待ってりゃ良かっただろ」
何となく面白くない気分になりながら、城之内は咎めるような口調でそう漏らす。
海馬を取り巻く空気から熱は感じられない。全身が冷え切ってしまっている証拠だ。
「ンな分厚いコートなんか着てたって、寒ィもんは寒ィだろーが」
言いながら、彼は半ば無意識に海馬のコートへと手を伸ばした。相手が意外そうに目を瞠ったことには気付かない。
闇色のコートに真っ白なマフラー。珍しくシンプルな出で立ちだが、その分寒さも染むのではと、舌打ちの一つもしたくなった。
「風邪でもひいたらモクバが心配すっぞ。相手、連絡つかねェの?」
まるで拗ねているかのようにぼやく様に、青い目が益々大きく見開かれる。
(どうにも……予想のつかない反応をしてくれる)
だから揶揄ってやりたくなるのだと、海馬は口元に人の悪い笑みを浮かべた。
「そんなに俺が心配か?」
「ハ…?」
笑みを含んだ声音でそう問い掛けると、城之内は予想に違わずぽかんと口を開ける。あからさまな気遣いも、意識してのことではないのだろう。無意識だからこそ、本音が声に滲むのだ。
心配しているのはモクバだけではない、と。
「な…、だっ、誰がテメェのことなんざ心配するか! 俺はモクバが…!」
「まぁそういうことにしておいてやる。少々時間が迫ってきたのでな」
真っ赤になって反論しかけた城之内も、その言葉にピタリと喚くのをやめた。仕事の邪魔になるとでも思ったのだろう。
「あ、じゃぁ、俺帰るわ。モクバによろしくな」
「だから待てと言っているだろう、駄犬」
そそくさと立ち去ろうとする背を呼び止め、海馬は人の話を聞かない犬の腕を溜息混じりに引き寄せた。
バランスを崩してたたらを踏んだ城之内が、驚きと苛立ちの綯い交ぜになった顔で振り返る。
「ってェな、何だよ!」
「フン…、今日は少しはマシな格好をしているようだな」
「…は?」
唐突な言葉と共に上から下へじろじろと無遠慮に視線を這わされ、城之内は居た堪れない気持ちで眉を顰めた。普段は散々詰るだけ詰って放り出すくせに、今日は一体何だというのだろう。
「少しは、って…これは遊戯たちがだなぁ」
「だが首が寒々しい」
「あぁ!?」
意図の見えないやりとりにいい加減焦れて手を上げかけた、瞬間。
ふわりと。
首元を覆った温もりに、城之内は大きく目を瞬かせた。
「巻いていろ」
どこか愉しそうに告げてくる声に、益々困惑する。
つい先刻まで海馬がしていた白いマフラー。その柔らかな感触が、どうして自分の首に巻きついているのだろう。温もりと微かに漂うコロンの香りがじんわりと染み入ってくるようで、落ち着かない気分にさせられる。
海馬はそんな城之内の戸惑い顔に満足気な笑みを浮かべると、そのままくるりと踵を返した。
「ま、待てよ!」
「何だ」
「え…、いや、だから…」
こうも冷静に返されてしまうと、自分の反応の方が可笑しいように思えてくるから不思議だ。
城之内は混乱した頭を何とか整理しようと焦りながら、それでも引き止めた以上は何か言わねばと口を開いた。
「テメェ、誰か待ってたんだろ? もういいのか?」
けれど思い付いたのはそんな的外れな問い掛けで。
(だぁぁ俺のバカ…っ)
またブチブチ馬鹿にされるのだと、思わず首を竦めて身構える。
いつもいつも、人の揚げ足を取っては徹底的に追い込んでくる男だ。嫌な奴だと解っていたのに、どうして呼び止めてしまったのだろう。
来るなら来い、と半ば妙な覚悟を決めながら見上げた先で、海馬はしかし予想外の表情を浮かべていた。
形の良い眉を僅かに下げて口角を上げる。それは苦笑、というよりは自嘲に近い笑みで。
「待っていた、と言っただろう」
「へ?」
物珍しさに思わず凝視してしまっていた城之内の目が、再びぱちりと瞬いた。
海馬はそんな彼の様に小さく笑い、
「あまりの遅さにヒヤヒヤしたがな」
袖口から覗く腕時計をトントン、と指し示す。
「間に合ったな?」
「――――!?」
ニヤリと笑んだ顔に、城之内はただただ絶句した。
現在の時刻は「1/26-AM0:01」。
有り得ないと思いつつも、巻かれたマフラーの温もりに思考を奪われる。
これは、まさか、そういうことなのだろうか。
自惚れてもいいのだろうか。
いつも犬だ凡骨だと自分を馬鹿にしてやまないこの男が、自分を祝う為に何時間も待っていたと? この寒い中、ただそれだけの為に?
(……有り得ねェだろ……)
頭の中ではきっぱりとそう言い切る自分がいる。なのに、自分を見つめる青い瞳から目を逸らすことが出来なかった。
何か言わねばと思うのに何も言えず、喉の奥が引き攣れるような痛みを訴える。
真摯な色を見せるその瞳は、本当に卑怯だ。まるで大切に思われているかのような錯覚に陥ってしまう。
「気分を壊したくないなら、来るか?」
追い討ちを掛ける愉しげな声音。
差し出された手を素直に握り返してしまった自分は、きっと余程嬉しかったのだ。
邸に着けば起き出して来たモクバにまで「おめでとう」と言われ、思わず泣き出しそうになってしまった。
幸せで。本当に、幸せで。
泊まっていけと誘われるままベッドに潜り込むと、何故か部屋を出ようとしない海馬が椅子を持ち出してに隣に腰掛けてきた。
とろとろと眠りに誘われていく意識の中、前髪を払い除けられた額に、冷たい指先がそっと触れる。重い瞼を気力で持ち上げると、穏やかな深い青が目前でゆらゆらと揺れていた。
いつもの小馬鹿にしたような色はそこにはない。それどころか、彼はどこか慈しむような表情を浮かべて、ただ静かに自分を見下ろしていた。
さらさらと優しく髪を梳かれ、心地好さにすっと意識が遠退いていく。
驚きながらも、決定的に拒まなかったのは何故だろう。温もりがあまりに心地好すぎたからだろうか。
だがだからと言って、受け入れてしまうことも出来ない。
今はまだ、壊れてしまうのが怖いのだ。
幸せの「後」を思う甘い痛みに慣れるまで、もう少しだけ待っていて欲しい。
(サンキュ、な…)
素直に言えない言葉を胸の内で呟いて、城之内は口元に微かな笑みを乗せた。
海馬がクツリと笑う気配。
今夜は幸せな夢が見れそうだ。
Happy Birthday.
+ END +

城之内BD話・海×城編。まだくっついてない二人です。
くっついてないのにどこまでも果てしなく甘々な二人です…。
社長の方は完璧に落ちてます。わざわざマフラー渡しに帰って来ちゃうくらいには。
■ 2003.03.31 ■
余韻ぶち壊し気味な オマケ も読まれますか?