金 糸
ヘリの操縦席の後ろでは、皆泥のように眠っている。
『お前ら兄サマの優しさに感謝しろよな!』
胸を反らしてそう言ったモクバも、今はすぅすぅと穏やかな寝息を立てていた。
「皆疲れてんだな…」
窮屈な姿勢で眠る面々に、城之内はくつりと小さな笑みを雫す。
ペガサスの理不尽な招待に応じて参戦した決闘者王国。短いその旅の間には、言葉では言い尽くせぬほど実に様々な出来事があった。
身体の疲れは勿論、精神的にも限界がきていたのだろう。
「テメェも疲れてんだろ? その、悪かったな。便乗しちまってよ」
決まりの悪い思いでそう告げると、操縦桿を握る海馬の目がちらりとこちらを見遣った。その口元に、不本意ながら見慣れてしまった嘲りの笑みが薄っすらと浮かぶ。
「フン、珍しく愁傷だな。気味の悪いことだ」
「気味……、テメェ、人が折角!」
「喚くな。モクバが起きる」
思わず身を乗り出し、いつものように食って掛かろうとした城之内は、ぴしゃりと言い切られたその台詞にぐっと言葉を呑み込んだ。
仕方がない。兄が弟を思い遣る言葉に反発しては、あまりにも大人気ないというものだ。
不貞腐れた子供のように口唇を尖らせ、苛立たしげに操縦席から視線を逸らす。目の置き場に迷って隣を見下ろすと、ぐっすりと眠り込んでいる親友の派手な髪色が目に飛び込んできた。
何とはなしに手を伸ばし、掬い上げた一房をついと引いてみる。
途端、
「人の眠りを妨げるのが趣味なのか、貴様は」
胡乱な声音と共にわざとらしい溜息が聞こえてきた。
よもや後ろにも目があるのだろうか、この男は。
「るせェな、暇なんだよ」
そんな妙な趣味があって堪るかと心内で毒吐きつつ、城之内は色分けされた特徴的な前髪を再び握り込む。
正直なところ、この男と二人きりで会話を続けていくのは相当なストレスだった。遊戯が起きてくれれば有難いのだが、だからと言って無理に起こすのも忍びない……と、複雑な心境で幾度も悪戯を繰り返す。
しかし余程眠りが深いのか、頼れる親友は身じろぎ一つしない。
「ったくよぉ、いくら疲れてるからって、こんな状況で熟睡するか普通」
城之内は一人言ちるようにそう呟くと、眉間に皺を寄せて深々と溜息を吐いた。
絶えず響くプロペラの轟音。全身を小刻みに震わされる感覚が堪らなく不快だ。
「なぁ、テメェ酔わねェ? 俺実はさっきから胃の辺りが…」
「間違っても吐くなよ。気になるのなら貴様も寝たらどうだ」
「無茶言うなよ、こんな爆音の中で。ったく、何でこいつらこんなにすやすや眠れんだ?」
三度ついついと髪を引かれ、漸く遊戯から「うーん…」と小さな苦鳴が漏れた。
「お、こいつ眉間に皺寄ってら。伸ばしてやろ」
「う〜〜…」
煩わしげな呷きと、忍び笑う声。
「耳障りだな…」
「だろー? バリバリバリバリ煩ぇったらねーよ。ヘリってのはこれだから嫌だぜ」
乗ることすら初めてのくせに、城之内はしたり顔でそう文句を漏らした。
海馬のこめかみがひくりと引き攣る。
その嫌な機体に乗せろとせがんだのは、一体誰だ。
「貴、様、が、耳障りだと言ったんだ。少し黙っていろ!」
「うっ」
抑えた声音ながらも厳しい口調で叱咤され、城之内は反射的に首を縮込めた。体裁の悪い思いでぎくしゃくと体の向きを戻し、密かに口唇を尖らせる。
(くそ…、人が折角気ィ遣って喋ってやってんのによ…)
面白くねェ奴、と口に出せば不興を買うことが明白な台詞を心内で吐き捨てながら、彼は気を紛らすべく窓の外へと視線を向ける。
海に溶け込むかのように、ゆうるりと沈んでいく太陽。
きらきらと輝くオレンジ色の水平線上には、紫と紺青のグラデーションが広がっている。
「綺麗だな…」
ほう、と思わず感嘆の息が漏れた。
こんな光景を、もうすぐ妹にも見せてやれる。
そう考えただけで口元が綻む。その為に、自分はあの島へ乗り込んだのだ。
ここ数日の出来事を反芻しながら笑みを深める彼の瞳に、燃え尽きる間際の陽光が眩く映り込む。目に掛かる長い前髪もまた、金色の光を受けて淡く煌めいていた。
「その色は元からか」
不意に、運転席からそんな声が掛かる。
「あ?」
「貴様の髪だ。随分と色が薄いな」
訝しげな声と視線を向けた城之内に、海馬は尚も問いを重ねた。
脱色を繰り返して傷んだ髪は、艶もなくパサついた印象を与える。だが窓に映った城之内のそれは洗い立ての子犬のようにふわふわと揺れ、自然な艶の輪も見て取れた。
以前から少し、気になってはいたのだ。
「別に抜いてもねェし染めてもねーけど。気にする程のもんか? 遊戯の髪の方がよっぽどキテレツ……じゃなくて、何つーか、変わってんじゃんか、こいつのアタマ」
「それは奇怪すぎて逆に気にもならん」
「…キッカイ…」
奇天烈という形容すら言いすぎかと慌てていた城之内は、更に上をいった海馬の発言に絶句しつつ眉を顰めた。が、海馬は気にすることなくフン、と鼻を鳴らす。
「第一貴様、ハーフでもあるまい? クオーターか」
「いや、生粋の日本人だぜ、多分。これは…んー、深く考えたことねェけど、突然変異ってやつなんじゃねェの」
おお、何か格好良いじゃねーかと満足気に頷く城之内に、海馬はニヤリと口の端を吊り上げ、
「成程、珍獣か」
「人を動物扱いしてんじゃねェ!」
小馬鹿にするようにせせら笑うと、当の珍獣が顔を真っ赤にして吠え掛かってきた。
過剰なその反応は想像通りだが、キンと耳元の奥にまで響いた大声は頂けない。
「やかましい。モクバを起こしでもしたら海に放り出すからな」
「……っ」
声を低めて睨み付ければ、途端に大人しくなる。
…これは案外、帰り着くまでの暇潰しになるのではないだろうか。
眠気覚ましには丁度良いかもしれない、と、城之内が知れば怒り狂うだろうことを考えながら、海馬は涼しい顔で前方を見据えた。
「時に馬の骨」
「だからそれはヤメロっつーのに!」
「黙れ犬。いいから少しこちらに来い」
くいくい、と指先で手招かれ、城之内は訝しげに首を傾げる。
「あン? 来いったって助手席にはモクバが…」
「こっちだ、馬鹿犬が」
言うと同時に伸びた手がぐいと髪を鷲掴み、助手席とは逆の方から無理やり操縦席側へと引き寄せた。窓に頬を擦りつけるようにして顔を出す破目になった城之内が「ぐえっ」と潰れた蛙のような声を上げる。
「っ、てェよバカ! つかこの体勢きついって…!」
「フン、知ったことか」
逃れようともがく彼の髪を更にぐいぐいと引き、海馬は近付いたその顔をちらりと横目に見遣った。余程痛かったのだろう。髪と同じ色をした長い睫毛には涙の雫が光っている。
「ちくしょ…っ、ハゲたらどうすんだよ!」
「それこそ知ったことではないな」
一笑に付せられ、城之内はぐっと口唇を噛み絞めた。が、その間にも海馬の手はわしゃわしゃと無遠慮に彼の髪を掻き回しているのだ。
何がしたいのか、さっぱり解からない。
「何がしてーんだよ、テメェは…」
心の声をそのまま口にした城之内は、半ば抵抗を諦め、深々と息を吐いて少しでも楽になるよう身体の力を抜いた。
早く飽きてくれとげんなりした気分に陥りながら、けれど時折地肌に触れる指先の感触が、ほんの少しだけ心地好くもある。
大嫌いな男に撫でられているというのに、一体何の冗談だろうか。
「駄犬にしてはなかなかいい毛並みだな」
城之内のそんな動揺を余所に、海馬はさらさらと指の間をすり抜けていく髪の感触を思う存分愉しんでいた。
こしの強そうに見えた癖っ毛は思ったよりも細く、柔らかい。
思い出したように「犬じゃねェ!」と抗議してくる騒々しささえなければ、気の済むまで延々と弄んでいられるものを。
耳元でキャンキャンと吠え立てる声に眉根を寄せながら、海馬はさてどうしてくれようと思案を巡らせた。
この犬の反応を愉しみつつ黙らせるには、どんな手段が効果的だろうか。
考えた末おもむろに操縦桿から手を離し、伸び上がるようにして後ろを振り返る。
そして。
「ン、…っ!?」
城之内の口からくぐもった声が漏れた。
海馬の顔がこれ以上ないほど近くに寄せられ、視界を覆い尽くしている―――否、近いどころではない。一部が、明らかに接触している。
「んーーっんーーー〜っん〜〜〜〜〜 っ!!」
一拍置いて、城之内は再び暴れ出した。だがそれは、男に口吻けられたことへの衝撃からではない。
直前に見えた光景は、海馬の膝でのみ固定された操縦桿。心なし機体が傾いたように思えて気が気ではなかった。
ただでさえ定員オーバーで不安定な状態なのだ。そこにもって運転手にそんな真似をされては、パニックになるなという方がおかしい。
しかし海馬はそんな彼の様に片眉を跳ね上げ、あからさまに不機嫌な表情で口唇を離した。
「少しは集中しろ」
「バ…っ、出来るかーーー!!」
「んー…、兄サマ…?」
「!」
状況も忘れて怒鳴りつけてしまった城之内は、小さな声を漏らして目を擦るモクバの姿に慌てて両手で口を覆った。同じくヒヤリとしたらしい海馬が「まだ寝ていていいぞ」と声をかけると、素直な弟はこくりと頷いてシートの端へと寝返りを打つ。
規則正しい寝息が聞こえ始めて漸く肩の力を抜いた城之内は、「あぁびびった…」と大袈裟に胸を撫で下ろした。
「テメェ、アホなことやってねーで真面目に操縦しろよ」
「……随分な言い様だな」
じとりと恨めしげな目を向けて告げた言葉に、如何にも気分を害した風な視線が返る。
「あのな、俺は、そういう冗談は通じねーの。マジに取られて困るのはテメェだろうが」
ただでさえファーストだったんだからな、と苦々しげに舌打ちをしながら、城之内は真っ直ぐに見つめてくる海馬の視線から逃げるように顔を背けた。
そう、揶揄うだけのつもりなら、こんな風に自分に触れてはいけない。
触れられることに慣れていないこの身は、幸せの欠片に貪欲だ。偽りでも手を伸ばされれば嬉しくなる。……期待が増して苦しくなる。
本当に、冗談ではすまなくなるのだ。
「ちくしょう……テメェなんか、大っ嫌いだ」
吐き捨てるつもりだったその声は、喉に貼り付いて酷く掠れていた。
情けない。口唇に触れた生々しい感触と温もりが今になって蘇り、激しく胸を揺さぶる。
心の底から忌々しく感じている男だというのに、口唇を拭う気になれなかったのは何故だ。離れた指先を惜しむような気持ちになるのも。
顔を伏せたままの城之内を無言で見つめていた海馬は、やがてゆるく目を細め、
「モクバがまた起きる。黙っていろ」
突き放すようにそう告げて、すっと前方に視線を戻した。
未練の欠片も感じさせないその仕草に、じくりと鈍く胸が痛む。
―――ほら、もう駄目だ。
俯いた城之内の目に、パサリと長い前髪が落ちた。
先刻この男に触れられたばかりの金糸が、額に、頬に。
「…知るかよ、このブラコン」
くつりと喉を鳴らしながら小さく呟いて。
ぐい、と拭った口元には、どこか自嘲めいた笑みが浮かんでいた。
+ END +

初海×城。A5サイズの雑記帳に勢いのまま書き綴ってありました。
くっつくまでの過程が好きです。
■ 2002.06.21 ■