キスをした。
キスだけ、するようになった。
……何でだろう。
金 糸 2
放課後の教室に灰朱色のとばりが降りてくる。
初夏らしい清涼感はそこになく、梅雨の薄雲がじくじくと夕日を滲ませていた。
「…は…、ぁ……」
互いの口唇から漏れる微かな水音。
グラウンドの喧騒など聞こえないくらい、夢中で相手の唇を吸って。
「…〜〜〜ぷはっ! ど、どうだ!」
「単調すぎるな」
自信有りげな笑みを裏切って不遜な台詞を返せば、相手の顔がむっと膨れた。
「けっ、ンなこと言ってホントは俺サマのテクにめろめろなんじゃねェの」
やだね〜ヤッカミはよぉ、と肩を竦めて不敵な笑みを見せる犬は、それでも少しばかり拗ねたような色を瞳の奥に浮かべている。
まったくこれだから飽きないのだと、海馬は心内で密かにほくそ笑んだ。
「フン、犬に舐められた程度では刺激の欠片もないわ。出直して来い負け犬」
「負け…っ、 テメェ結構ノってたくせに格好つけてんじゃねェよ!」
やれやれとばかりにわざとらしい溜め息を吐いてやると、案の定小煩く吠え掛かってきた。
乗せられやすい性格をしているのはどちらの方か、一度良く考えてみるといい。
口吻けを終えたままの距離で不穏な視線が火花を散らし、睨み上げる城之内の琥珀の瞳が、海馬の青い瞳の中に映り込んでいた。
―――何色に見えているのだろう。
ふと、そんな考えが頭に浮かぶ。自分が彼の瞳の中に見ている色と、同じだろうか。
(…有り得ん話だ)
海馬はクッと口の端に薄い笑みを浮かべた。
吐息がかかる程の距離にいても尚、自分たちが何かを共有することなど有り得ない。
「……いいだろう」
「な、何だよ…」
不穏な気配を感じ取って尻込みする城之内に、海馬はニヤリと笑みを深めた。
「駄犬の貴様にも解かるように、たっぷりと時間をかけてキスの仕方を教えてやる。有難く思え」
「なっ、ンなの頼んでねェ、ッ…!」
慌てた城之内が身を翻そうとするのを許さず、逆に腕を掴んで引き寄せる。噛み付くように口を塞ぐと、歯のぶつかる嫌な音が耳に届いた。
普段と違う展開に戸惑ってか、城之内の指先が縋るように海馬の制服を握り込む。だが恐らく、意識してのことではないのだろう。
逃げられぬよう両手で顔を押さえ、息も継げぬほど深く貪って、城之内の中の欲望を一方的に暴き立てる。
「て、め……っ、ン…っ!」
唾液に混ざる血の味に、頭の芯がくらりと痺れた。
強張っていた身体が次第に弛緩し、やがて赤く濡れた口唇から熱い吐息が零れ出す。
意識が陥落してしまえば、彼は自ら舌を差し出して積極的に海馬を求めた。
目を閉じて素直に身を任せる様に、海馬はゆるく目を眇める。
いつもこうだ。
仕掛けるのは城之内、そしてそれを堕とすのは自分。
二人きりになる度、城之内は半ば意地のようにキスをしてきた。
あの忌々しい王国からの帰路、そのヘリの中で。
鮮やかな夕日が照らす髪に、気付けば手を伸ばしていた。
キスをしたのは、それこそ悪ふざけだったとしか言いようがない。
だがそれならば何故、こうしてその「悪ふざけ」を延長させているのか。そしてそんな戯れ一つであんなにも傷付いていたこの男は、今更どうして自分に触れたがるのか。
潜む本音を、暴いてやりたくなる。
「……ぃ、ば…っ」
ちゅ、と小さな音を立てて口唇が離れた。
縋るようにシャツを握り締めていた彼の手も今や力を無くし、潤んだ琥珀色の瞳がゆっくりと瞬きを繰り返す。
「……らいだ…」
「………」
「テメェなんか…、大っ嫌いだ……!」
俯いて、くぐもった声を搾り出す。これもいつものこと。
キスをした後、必ず城之内が口にする言葉。
嫌 い
海馬は無言で城之内の横髪を掻き上げた。耳の端を指が霞める感触に、腕の中の彼はぴくりと肩を震わせる。
さらさらと指の間をすり抜ける金糸。
それは必死に逃げようとしている彼の心そのもののようだ。
海馬は瞳を伏せ、掬い取ったその一房にそっと口吻けた。
何もかも、気付かないフリをして。
キスをする。
キスだけ、する。
感情で触れているのではないから。
ない、筈だったから。
何も言わず、海馬はただゆっくりとその髪を梳いた。
喉の奥で押し殺した悲鳴。
すすり泣く声。
そんなもの
聞こえる筈が、ないのだ。
+ END +

意地っ張りな城が書きたかったんですが、気付けば社長まで意地っ張りになっていました。
どっちが先に折れるんでしょう…。もう一話だけ続きます。
■ 2002.06.25 ■